Apr. Week 3, 2022
Difference Between...
悩み相談と愚痴の境界線とは?


秋山曜子様、
CUBE New Yorkのウェブサイトを長く愛読しています。初めてサイトに出会った頃は未だ学生でした。
私は自分でも悩むことが多い割には、何故かよく悩み相談を持ち掛けられます。 相談されるとドップリ疲れる時もあれば、励ましているうちに自分も元気になる時もありまして、 ある時、ドップリ疲れる時には 相談されているのではなくて 愚痴を聞かされているのだということに気付きました。
でも先日さほど精神的に苦痛にならなかった友達の相談ごとの最後に 「愚痴を聞いてくれてありがとう」と言われたのがきっかけで、 悩み相談と愚痴の違いは何なのだろうと考えるようになりました。 私も人に相談をしたり、悩みを聞いてもらうことがありますが、聞いてくれる人を疲れさせたり、愚痴っていると思われたくありません。 どんな風に人に相談をすれば良いアドバイスがもらえて、相手の負担にならないかを知りたいと思うようになりました。
いつもこのコーナーでいろいろな方のご相談を受けている秋山様は、愚痴と悩み相談の違いはどんなことだと思われますか。 どういう形で相談されると アドバイスがし易いかも教えて頂けると幸いです。

- C -


愚痴は問題に向き合わない人が語る堂々巡りの文句です


私がCさんのメールを拝読して最初に思い出したのが、20年近く前に友人グループが集まった時の事でした。 この集まりは ある共通の知人に裏切られた友人の悩みを聞いてあげる会として 日頃からちょっとお節介な友人がホストしたもので、 3時間近いディナーの間 主役の友人が語り続けたのが 彼女を裏切った知人に関する愚痴でした。
ディナーを終えて一緒にタクシーに乗った私と別の友人の間で まず交わされたのが「疲れた~」、「長かった~」、「ウンザリした~」、「途中で帰りたくなった」 という会話で、そのやり取りには長時間の愚痴から解放された安堵感と、時間と労力を無駄にした後悔が込められていたのを覚えています。 その席には主役を含めて6人が居ましたが、主役は約3時間の愚痴マラソンでも一向に体力が衰える気配がなく、会が終わる頃も 未だ愚痴り足りないという様子。 私を含む残りの5人がその間、何度もトライしては失敗していたのが 彼女の怒りを抑えて 考えをポジティブに導いて、何とか話題を変えることでした。
ですがどんなに励まされても、なだめられても自分から裏切られた悔しい気持ちに戻っては 愚痴の堂々巡りをしていたのがこの時の主役で、 周囲の様子も含めて 人間心理を学ぶ上では得難いレッスンになりましたが、とにかくドップリ疲れたことを今でもはっきり覚えています。 私はその主役とは元々仲が良い訳ではありませんでしたが、この愚痴マラソンがきっかけで この人物をいろいろな意味で恐れるようになり、交友関係からもフェイドアウトすることになりました。

さてまずCさんがおっしゃっていた悩み相談と愚痴の違いですが、 悩み相談とは文字通り その時直面している問題について相手の意見や考えを求めることです。 世の中には悩んでいる問題について成す術がないケースは少なくありませんが、 そんな場合でも気持ちを切り替えたり、見方を変えて割り切ることは出来るはずです。 相談する側に 改善策を求めて努力や取り組みをしようという前向きな姿勢や目的意識さえあれば、 問題についての建設的な会話が出来るはずですし、例え相手から的確なアドバイスが得られなかったとしても、 相談の会話の中から自分で悟れることや気付くことがあるはずなのです。
これに対して愚痴というのは 解決策を求める気持ちや、割り切って先に進もうという気持ちが無い人が語るものなので、 同じ事について何度も同じ文句を繰り返すループ状態になります。 時に問題を説明する側に覇気が無く、ネガティブなトーンであるがために 言っている内容が愚痴に聞こえてしまうケースもありますが、 基本的には愚痴は同じ文句や不平を繰り返す状況を指す言葉です。

愚痴が何故人を疲れさせるかと言えば、人間という生き物はまともな思考回路である限りは 同じ話を何度も聞かされるのを嫌う生き物だからです。 そのことは 「その話、もう何度も聞いた」と他人の話を遮ったり、ストーリーの長さに関わらず結末や落ちの無い話を聞かされた場合に拍子抜けする心理、 結末が分かり切っている時に先にそれを語ってしまう人間の行動にも現れています。 ちなみにここで言っているのはアファーメーションのように繰り返し同じ事を反復して自己暗示に掛けるようなケースではなく、 あくまで会話を始めとするコミュニケーションやストーリーについてです。
毎日の会話のような他愛のないものにも何等かの展開や進展を含む新しい情報を求めるのは人間の本能なのです。 何度も同じ話や文句を繰り返し言われることは人間にとって苦痛なだけでなく、内容を受け入れなくなりますし、相手に対する関心や好意も消え失せます。 このことは夫婦間の愛情が冷めるプロセスでも頻繁に起こっています。
逆に情報に新鮮味さえあれば、その内容がたとえネガティブなものであっても人は歓迎します。 例えば特定の人物の悪口を長時間に渡って聞かされたとしても、その内容が それまで知られていなかったその人物の悪行の数々で、 情報量が多くニュース性が高い場合には、それを聞いて脳が活性化するので精神的な疲労を覚えることはありません。 そんな会話では往々にして 参加者が自分の経験とその場で知った新情報を関連付けて、問題の人物の心理や行動パターンの分析が行われるものですが、 それは脳が活発に記憶や情報を処理しているからこそ可能になることです。 脳の活性化は肉体、精神の活力も高めますので、内容が何であれ 脳が活性化する会話には人間が無意識のうちに価値を見出すものなのです。

Cさんが「励ましているうちに自分も元気になるようなタイプが居る」とメールに書いてくださいましたが、 そのケースはCさんが問題の解決策を一緒に考えたり、ご相談者からのポジティブなインターアクションを受け取るプロセスで、 Cさんの脳が活性化している様子を意味します。 私自身もこのコーナーに頂くご相談にアドバイスを差し上げることが自分の人生にとって大きなプラスになっていると考えていますが、 それはご相談者へのアドバイスを考えるプロセスで、自分にも必要な考え方や割り切り方を学ぶことが多いからです。
その意味で私は悩みや相談を持ち掛けるというのは、建設的な会話が出来て、そこから先に進むことが出来れば 相談した側とされた側の双方にメリットをもたらし、その関係や絆が深まる要因になると考えています。 一時悩んでいた人が、元気に頑張っている姿を見るのは相談された側には嬉しいものですし、特に元気になってから改めて感謝された場合には その幸福感は更に高まります。 ですから人に相談を持ち掛けた場合には、その場限りにしないで その後の状況や進展を伝えて、問題が解決したり、気持ちが楽になった場合には 是非その感謝の気持ちを伝えて頂きたいと思います。

愚痴る人は愚痴る人間性をしています

愚痴というのは 聞いている側は内心ウンザリしていますが、それでも誰もが その言い分を聞いて、慰めて 持ち上げるという判で押したようなリアクションを見せるものです。 愚痴を聞かされる側にとって、それは愚痴を早く終わらせるための手段にすぎませんが、愚痴る側は自分に関心が注がれ、自己肯定感を高めてもらえる状況を求めているのです。
もちろん中には解決策の無い悩みを抱えて、話を聞いてもらうことによって精神的に楽になるケースもあります。 そういう状況では話を聞いてあげるべきだと思いますが、それがやがて愚痴になるのは 聞いてくれる相手に対して甘えが出て来た時だと思います。 すなわち自分が抱える不満や虚しさ、怒り、退屈さから一時的に開放してくれる慰めや励まし、自分に注がれる関心を求めて、 解決の意志が無い問題や状況を相手に語る場合にはそれは愚痴でしかありません。
アメリカで女性が語る愚痴の二大トピックとなっているのは、 義理の家族との問題と別れた恋愛相手についてです。 特に「悔しい」という人間にとって最も処理が難しい感情レベルで拗れた場合は、日頃は理性的な人でも 口を開けばその問題についての愚痴を語ってしまうことは珍しくありません。 しかし それが長く続くケースや、頻繁に起こる場合には、愚痴の原因が問題よりも 本人の人間性にあると考えるのが妥当です。

私が知る限り、愚痴が多い人は プライドが高く、劣等感も強く、視野が狭く、物事を客観的に捉えることが苦手な人です。 また物事に一途なので、時にそれがキャリアの専門分野で花開くこともありますが、小さなことで直ぐに不安になりますし、 物事を良い意味にも、悪い意味にも拡大解釈する傾向も顕著です。 愚痴というのは同じコンテンツのループですが、限られたコンテンツを拡大解釈するからこそ 本人にとってはネタが尽ない訳で、 時に「どうしたらそんな風に考えられるのだろう」というような被害妄想的なアングルを勝手にもたらします。 普通の人ならば直ぐに忘れてしまうような事を長く引きずって、実際にされたり、言われたりした以上のダメージを 心に刻みつけるので 根に持つタイプでもあります。 逆に良いことも拡大解釈して膨らませるので、ちょっと褒められるとその気になって とことん面倒を見たり、相手が忘れているようなやり取りに恋愛感情を見出すような 1人相撲をするケースもしばしばです。
このタイプの人はいろいろな意味で人間味がある一方で、誤解や勘違いが多く、自己中心的なので、 自分の幸せと精神安定を優先させるのであれば、愚痴が多く、他人の時間やエネルギーを平気で無駄にする人とは関わるべきではないのです。

本当に幸せな人は問題に直面しても愚痴など言わないものですし、愚痴を言っているうちは、愚痴りたくようなことが起こり続けるので幸せになることはありません。 愚痴とは、文字が示す通り愚かで頭の働きが鈍いことを意味しますので、そんなことを口にしている人間が幸せになれるはずはないのです。
愚痴だと思われずに相談に乗ってもらうためには、自分が問題に対して冷静に向き合える状態になることが大切です。 感情を交えずに客観的な視点から問題を説明することは、適切なアドバイスを得るためには不可欠です。 自分の置かれた状況を改善したいという前向きな気持ちを持って相談すれば、それが愚痴に聞こえることは決してありませんし、 相談された側もそんな気持ちや熱意が感じられるほど、親身になってくれるものです。 要するに人生に真剣かつ前向きに取り組んでさえいれば、悩みを相談しても愚痴ではありませんし、愚痴に聞こえてしまう心配など要らないのです。

Yoko Akiyama


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執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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