Vol.4 Nov. 19 2025
Elite As a Sex Crime Organization
”エプスティーン同様の性犯罪組織、Elite モデルエージェンシーの話”


アメリカがセックス・トラフィッカー、ジェフリー・エプスティーンの捜査ファイル公開を巡って大騒ぎをする中、 エプスティーン・スキャンダルを長く追いかけている人々がエプスティーン、トランプ氏と同様に名前を挙げるのがジョン・カサブランカ。
カサブランカは1972年にパリでエリート・モデルエージェンシーを設立。アメリカでもエリートを設立し、毎年開催するようになったのが新人モデル発掘のための「ルック・オブ・ジ・イヤー・コンテスト」。 賞金15万ドルとエリートとの契約が約束される同コンテストの1983年の勝者はシンディ・クロフォード、1995年に第2位となり、モデル・キャリアをスタートしたのがジゼル・ブンチェン。 しかし同コンテストは、モデルを目指す若い女性達を著名男性審査員に献上するイベントであったことが後にメディアに暴かれており、審査員として名前を連ねていたのがマジシャンで 後にスーパーモデル、クラウディア・シファーと婚約したデヴィッド・カパーフィールド、ジェフリー・エプスティーン、そしてトランプ氏。トランプ氏が1988年~1995年までプラザ・ホテルのオーナーだった時代には、 コンテストがプラザ・ホテルで行われており、娘のイヴァンカが15歳でモデル契約をしたのもエリート。トランプ氏はジョン・カサブランカと親しい友人関係で知られていたのだった。

カサブランカはモデル達を著名人や有力者にあてがうだけでなく、自ら手を出すことでも知られ、ティーン・モデル時代に彼の愛人だった噂が流れたのが 「フォー・ウェディングス・アンド・ア・フューネラル」等で知られる女優のアンディ・マクダウェル。 カサブランカが1980年代前半に来日した際には、若き日の彼女を同行させていたけれど、 その時の来日の目的は日本にエリート・モデルではなく、”ジョン・カサブランカ”のネーミングでフィニッシング・スクールをオープンするため。 日本の女性に歩き方からマナーまで、西洋的な女性のたしなみを教えるというスクールは、当時ヴァンサンカンやJJといった女性誌が盛んに記事にしていたので、 昭和時代のこれらの読者の中には その存在を覚えている人が居るようなのだった。


スーパーモデル・ブームと性加害


ジョン・カサブランカは22歳で1度目の結婚をし、2人目の妻との間に1979年に生まれた息子は、後にロックバンド、ザ・ストロークのヴォーカルとなったジュリアン・カサブランカ。 そして1983年に2度目の離婚をした彼が その直後から公然と交際したのが当時16歳のステファニー・シーモア。 彼女は1990年代前半にスーパーモデルとして初めてヴィクトリアズ・シークレットのカタログ・カバーを飾って人気と知名度を高め、エリートのトップ・モデル達が 同ブランドのカタログやランウェイ・ショーに登場する道を切り開いた存在。
その頃までにはステファニーはカサブランカと別れ、ガンズ・アンド・ロージズのヴォーカル、アクセル・ローズと婚約。ヒット曲”November Rain”のミュージック・ビデオでは、彼と結婚する様子を演じていたけれど、 程無くNYの富豪ビジネスマンで、当時5人の連れ子が居たピーター・ブラントと交際をスタート。アクセル・ローズは婚約不履行で訴えようとしたものの、大富豪の社会的権力に屈する形になったのだった。

カサブランカは 50歳を迎えた1993年に17歳のモデルと3度目の結婚をしたけれど、当時はスーパーモデルの大ブーム。エリートはブッキング・フィーだけで1億ドルを超える売り上げを記録。 それもそのはずで、前述のシンディ・クロフォード、ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタ等、スーパーモデルの多くが所属していたのがエリート。 しかし徐々にモデル達への性加害が取り沙汰されるようになり、2000年にはジョン・カサブランカがパリのオフィスも含め、モデル達を性的オブジェとして扱っていたカルチャーを謝罪。 賠償金を支払い、エリートのビジネスから手を引いて、持ち株を全て売却。
その頃パリでエリートの社長を務めていたのは、リンダ・エヴァンジェリスタと1987年から1993年まで婚姻関係にあったジェラルド・マリー。 彼は11人のモデルに性的暴力とレイプで訴えられており、 90年代にブロンドの美貌で売れまくったスーパーモデル、カレン・ミュルダーも エリート・パリ・オフィスで常習的に横行した性加害の被害者。彼女は「度重なるレイプで精神を病み、精神医療施設に5ヵ月も入院した」とTVインタビューで語っているのだった。
ジョン・カサブランカ自身は、エリート株式を売却した直後に刑事訴追を恐れてブラジルに移住。その後フロリダに一時戻るも、 2013年にがん治療のために出向いたブラジルで死去。しかし彼の死因をガンと報じるメディアは無かったのだった。



ノー・ギャラでパーティーに派遣されていたモデル達


私は1990年から約3年半、NYに編集部を置く日本の業界誌でファッション、ビューティー&小売業のエディターをしていて、 時折ファッション・シューティングの仕事があったけれど、予算が少ないとあって、当時必ずモデルを手配していたのがエリートの中でも、若く、駆け出しのモデルを集めた”ニューフェイス”部門。 ニューフェイスは200ドルで1日中グラビア撮影を頑張ってくれる有難い存在だったけれど、1992年のファッション特集で雇ったステファニーというモデルが話していたのが 「今日、これが終わったらプラザ・ホテルのトランプ主催のパーティーに行く」という話。
当時トランプ氏は自ら所有するプラザ・ホテルで時折、財界人を集めたパーティーをしており、そこにギャラ無しで駆り出されていたがエリートのモデル達。 何故モデルが呼ばれるのかを尋ねたところ、「トランプ氏がモデルをはべらせているイメージを好むこと、そしてトランプ氏がジョン・カサブランカと親しいため」と 説明してくれたけれど、そこにやって来るエグゼクティブと何等かの関りを持ちたいモデルは多いので、事務所に言われれば皆ノー・ギャラで応じるとのこと。
その時の撮影は2日連続だったので、翌日彼女にパーティーについて尋ねてみたら「来ている人達は皆、結構年上だったけれど、ナイスだった」そうで、 何を着て行ったかを尋ねたら、アライアのミニ・ブラックドレスにアライアのヒールとの答え。アライアと言えば1990年代でもドレスとヒールで3000ドルはしたけれど、 超ボディコンのアライアは着られる人が限られる上に、アズディン・アライア自身がモデル達に作品を着て欲しいと思っているので、モデル対象の特別セールなら90%オフで買えるとのこと。 要するにエリートは、若いモデル達にデザイナーの特別セールで自腹で身づくろいをさせて、トランプ氏のパーティーを含む様々なオケージョンに送り込んでいたようなのだった。

そのプラザ・ホテルは1995年からスタートしたヴィクトリアズ・シークレットの第1回目のランウェイ・ショーが行われた会場。 でも男性セレブリティやビジネス・エグゼクティブのお目当てはランウェイ・ショーよりも、モデル達に直接アプローチできるアフター・パーティー。 イヴァァンカ・トランプの義弟、ジョシュ・クシュナーがカーリー・クロスと出会い、マルーン・ファイブのアダム・レヴィーンがベハティ・プリンスルーに出会い、レオナルド・ディカプリオがエリン・ヘザートンと交際するきっかけを作ったのが このイベント。 こうして若いモデルやモデル志願の少女達がヴィクトリアズ・シークレットのランウェイやカタログに登場する願望を高める中、それを巧みに利用して セックス・トラフィッキングを行って来たのがジェフリー・エプスティーン。
その一方で、ジョン・カサブランカの失脚がいよいよ秒読み段階になった1999年に トランプ氏がスタートしたのが、後にメラニア夫人も所属した”トランプ・モデル・マネージメント”。 トランプ氏が大統領に就任した2017年にクローズした同エージェンシーには、娘のイヴァンカもエリートから移籍。そして2000年に19歳で同エージェンシーと契約したのがパリス・ヒルトン。 先週にはパリスがギレーン・マクスウェル、トランプ氏と一緒に写ったスナップが浮上し、ギレーンが「She's perfect for Jeffrey」と言って、パリスをリクルートしたがっていた様子が報じられていたけれど、 1990年代のアメリカはセックス、ドラッグ、悪事で著名人の相関図で描けると言われた時代。
ナイト・ライフが今より遥かに派手、かつパワフルで、若い世代はジムに行ってから夜遊びに出掛け、ヨガや瞑想なんて仏教徒がすることだと思われていたのが90年代のニューヨーク。 NYタイムズのエディターが、「あの時代のNYのパワーと毒気がトランプやエプスティーンを作ってしまった」と語っていたけれど、 それは紛れもない事実だと思うのだった。

Yoko Akiyama



執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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