Covid 19 NY Diary


5月3週目からCatch of the Weekのコラムを御休みさせていただく 3週間、 2020年のパンデミック中の7人のニューヨーカーを描いたストーリー、「Covid 19 NY Dialy」を 2チャプターずつ公開させて頂くことにしました。既にプレビュー公開しているチャプター1~3は、及びプロローグは 以下のリンクからお読みくださいませ。

Prologue
はじめに


Chapter 1
Rachel
レイチェル:ヘッジファンド勤務


Chapter 2
Abigale
アビゲール:フリーランス・ライター


Chapter 3
Adam
アダム:リムジン・ドライバー


★ ★ ★



Chapter 4
Kali - Yukari
カリ/ユカリ:ファニチャー・デザイナー


2月4日、 火曜日
 コロナウィルスのせいでアジア人に対する暴力や人種差別的行為がNYでも発生したとニュースが報じている。 SNS上では、コロナウィルスの原因と噂されるコウモリ料理の写真をポストした中国人ブロガーが大バッシングを受けている。 あんな気持ち悪い写真を見せられたら、アメリカ人は皆、コロナを中国人のせいにする。 そしてアメリカ人にはアジア人の区別がつかないから、日本人でも韓国人でも、アジア人である限りは国籍とは無関係に怒りの矛先になってしまう。

 今年は1月からコロナウィルスの感染を恐れてチャイナタウンに人が寄り付かなくなった。 チャイニーズ・ニューイヤーのイベントも中止になったので、普通ならこの時期賑わうチャイナ・タウンのレストランは閑古鳥だ。 アジア人に対するコロナの腹いせ暴力のニュースは、NYより日本の方が大きく報じられているみたいで、 日本の友達から「大丈夫?」というメッセージを幾つも受け取った。 NYでさほど大きく報じないのは、それが逆に呼び水になるからだと思う。

アメリカに来てからの約4年、私は人種差別を受けたことは無い。
アメリカ生活の最初の2年を過ごしたのはサンフランシスコだった。  日本語がペラペラの香港チャイニーズの元夫と東京で出逢い、交際中に彼がシリコンバレーのIT企業に転職することになったので、彼について行くために2015年秋にスピード結婚した。 渡米後はIT企業をスポンサーに夫婦でグリーン・カードを取得したので、私は移民に付き物のヴィザ取得の苦労はしていない。  サンフランシスコは閑静な住宅街を離れると、ホームレスが多かった。明らかにドラッグ中毒だと分かる。
元夫は忙し過ぎて、楽しかったのは最初だけ。離婚原因は、元夫が同じ職場の中国人女性エンジニアと浮気をしたためで、 日本に帰ることも考えたけれど、反対を押し切ってスピード結婚しただけに、暫くは帰りたくなかった。 せっかくグリーン・カードがあるので、以前から憧れていたNYに2年前の2018年に移ってきた。
仕事はファニチャー・デザイン。 企業のためにデザイン・パテントを取得するような家具を手掛ける会社だ。 家具デザインは日本に居た時から仕事にしていて、今の会社にはサンフランシスコで採用された。 NYに移ってからは、同じ会社のブルックリン、ウィリアムスバーグにあるブランチ・オフィスで働いている。

 アメリカに来てからの私の名前は 「Kali」。本当は 「Yukari」 だけれど、アメリカ人に 「ユカーリ」と呼ばれているうちに それが「カーリ」になって、 私が「R」を上手く発音出来ないこともあって、いつの間にか「Kali」になってしまった。 ビジネス・カードの名前も Yukari “Kali” Endoになっている。 今では「Kali」のネームネックレスをお守りにして、イニシャル入りのマグカップもKを使っている。 「Kali」はアメリカ版に生まれ変わった自分の名前だと考えるようにして、日本に居た時とは違う自分になりたいと思っている。
 NYではローワー・イーストサイドのブルーム・ストリート沿いにアパートを見つけて、デートアプリのTinderを使うようになった。 NYに来てからの友達はオフィスのコリーグ(同僚)を通じて知り合う場合が殆ど。Tinderも職場仲間の勧めで使い始めた。 でもなかなかコレと思う相手は見つからない。 NYの場合、私の33歳という年齢はデート相手探しには全く困らない。 でもNYはスピードが速い街なので、デート相手もクルクル変わる。コロナウィルスのせいで、暫くはアジア人女性とデートしたいと思う男性が減るかもしれない。


2月21日、 金曜日
 仕事の後、ソーホーのグランド・ストリートのレストラン、ラッキー・ストライクで同僚のリヴィー、そして昨年秋に別の職場に移った元同僚のダニエルとディナーをした。
 ラッキー・ストライクは同じソーホーのスプリング・ストリートにあるバルタザールと同じオーナーのレストランなのでメニューが似ているけれど、 私はパリのビストロみたいバルタザールよりも、いかにもNYのダウンタウンという雰囲気のラッキー・ストライクの方が気に入っている。
 ディナーの席では、昨今のアジア人に対するコロナウィルスの腹いせ差別や暴力が話題になっていて、 ダニエルはアメリカン・チャイニーズでしかもゲイ。 だから嫌がらせのターゲットになり易いことを恐れている。
 帰りは自宅アパートまで歩ける距離だったけれど、ダニエルのUberでアレン・ストリートまで送ってもらい、 そこから歩き始めた。 このエリアは夜になるとドラッグの取引が多いので、慌てて道を渡ったところで 「Hey, China Girl」と見知らぬ男に声を掛けられた。 もちろん無視して歩き続ける。 「コロナウィルスに感染しているか? 中国人だろ?」としつこく声を掛けて来る。
 自宅アパートが近づいてきたけれど、この男に自宅を知られたくない。 「どうしよう」と思った時に 「She's not Chinese, She’s Japanese」という声が聞こえてきた。 「How do you know?」と訊き返した男に、 「I dated her」 と答えた声の主はヤンキーズの帽子を被っていて顔が見えない。
 「It's Julien, Remember me?」と彼が言った時には嫌がらせ男はいなくなっていた。

 ジュリアンは以前ティンダーで出会った相手で、デートが3回続いた数少ない存在だ。 スポーツ好きで2度目のデートでスポーツ・バーに行ったのを覚えている。 3回目のデートで、私の知り合いのアーティストのギャラリー・オープニングに出掛けたけれど、終始退屈そうにしていて、その場に居た男性ゲストと意気投合したのを見てホッとしたのも束の間、 姿が見えなくなり、暫くして 「さっきの男性と近くのスポーツ・バーに行くことにしたから」というメッセージが入っていた。
 そのメッセージの味気無さが、私達の趣味や世界が違うのを象徴しているように思えたので、「私は疲れたから帰る」と返信して帰宅した。  ジュリアンとはそれきりで、お互いに連絡をしなくなった。典型的なティンダー・デートの幕切れだった。

 その彼とまさかこんな形で再会するなんて思わなかった。不思議な懐かしさに似た感情が沸いてきたのと、彼が助けてくれたことが嬉して、気づくと彼の手を手袋の上から握りしめていた。 その場で話をするには寒すぎたので、オーチャード・ストリートにあるバー、ラッキー・ジャックに向かった。 ラッキー・ジャックはレンガの壁のボヘミアン・チックなバーで、ローワーイーストサイドの住人なら誰もが知るスポットだ。
 この日は寒かったのと、コロナの影響か客足がいつもより少ない。お陰で久しぶりに会ったジュリアンとゆっくり話すことが出来た。 お互いの近況、その後ティンダーでどんな相手に出会ったかなど、いろいろなことを話しているうちにあっという間に時間が経ってしまった。


3月12日、 木曜日
 あの再会以来、ジュリアンとは再び付き合いが復活した。
 でもNYの恋愛なんて どんなに上手くいっても、相手が別の誰かに出会えばすぐに終わってしまう。 だから「相手の気持ちが固まるまで真剣になってはいけない」と女友達にアドバイスされている。
 ジュリアンの仕事はポッドキャスターで、男性リスナーをターゲットにスポーツやデート・ライフ、今の時期はコロナウィルスの陰謀説などを語るプログラムだ。 このところ人気が高まって、かなりの収入を得ているようだ。スポンサーも複数ついていて、彼が以前よりも男らしく、自信に溢れて見えたのは 助けてもらったからかと思っていたけれど、経済的な余裕が影響しているようにも感じられる。 
 ジュリアンは昨年末にウィリアムスバーグにアパートを購入したばかりで、すごくクールなアパートは勤め先から歩いて数分の場所。だから彼の家に泊まる日も増えてきた。 コロナウィルスはNYでどんどん広がって、失業者が沢山出ている。私のアパートの付近でもホームレスやドラッグ中毒者が増えてきたので、夜遅くに自宅に戻るより彼のアパートに泊まることになる。 再会以来、ジュリアンと上手く行っているのは、お互いの趣味が違うことが分かっているので、違う部分には足を踏み入れないようにしているからだと思う。
 ウィリアムスバーグの生活はなかなか快適で、オフィスも近いし、ブルックリンには前から住んでみたいと思っていた。 私はいつの間にか「彼とこのまま結婚したらどうなるだろう」と想像するようになっていた。


3月21日、 土曜日
 今日はジュリアンと一緒に、彼がペンシルヴァニアのイースト・ストロースバーグに持っている別宅に出掛ける日だ。
 私のオフィスは来週月曜から自宅勤務になるので、何処に居ようと関係ない。 ジュリアンのポッドキャストも別宅から出来るので、2人でコロナを避けるためにも、人口密度が低いイースト・ストロースバーグに行くことにしたのだった。
 別宅というのはジュリアンの生家で、彼の両親はリタイアしてアリゾナに住んでいる。彼がウィークエンド・ハウスとして使う以外に、時折エアb’n’bで貸し出すこともあるそうだ。 私は2週間滞在の予定で荷造りをしたけれど、彼はそれより長くイースト・ストロースバーグに居座るかもしれないと言っていた。


3月22日、 日曜日
 ジュリアンのペンシルヴァニアの家は、映画に出てくるような一戸建て木造の ほのぼのした作りで、私は一目見て気に入ってしまった。  彼の両親がアリゾナに移住してからも売りたがらない理由が分かるような気がした。  周囲は森に囲まれていて隣の家までは徒歩で1分と言われていたけれど、実際には2~3分歩かなければならない。
車で何分か走ると大きなウォルマートがあるので、必要なものは全てそこで買える。 到着後の私達は、直ぐにウォルマートに買い物に行って、この日の夜はジュリアンが「世界一好きなカップル」という、隣家のジョンとエイミーと夕食を共にした。
 ジョンはジュリアンの幼馴染みで、エイミーと結婚したのは2年前。2人ともNFLフィラデルフィア・イーグルスの大ファンだ。 ジュリアンも野球はヤンキーズだけれど、フットボールはイーグルスの大ファン。私はと言えばイーグルスのクォーターバックが誰かも知らないので、 3人がフットボールの話で盛り上がっている時は蚊帳の外になる。
 4人でのディナーは、沢山食べて、沢山喋った楽しい時間で、田舎町でジュリアンと2人だけになるのを少し心配していたけれど、 こんな素敵なカップルが隣に居てくれるのはとても心強かった。私は気さくで優しいエイミーを直ぐに好きになった。


  3月27日、 金曜日
 イースト・ストロースバーグでの生活は思いの他やることがある。家の掃除や洗濯、庭の掃除、3度の食事を作るのは私の仕事。
 「ピザのデリバリーなら頼めるから、毎食作らなくても構わない」とジュリアンは言っていて、どうやらパパ・ジョンやドミノのようなジャンクなピザが食べたいみたいだ。  そんなジュリアンのために、今日はインターネットでレシピを検索して、ピザをドウから全て自分で作った。 これが上手く行ったので、ジョンとエイミーを招待してピザ・ディナーをした。
 イースト・ストロースバーグに来てからは、以前より料理をするようになった。キッチンが広くて、大きな木製の調理台が便利なこともある。 私の仕事場はキッチンの横にあるダイニング・テーブルで、Wi-Fiが2Gで遅い以外は 仕事には全く支障が無い。 暖かくなったら、天気が良い日はパティオのテーブルで仕事をしたいけれど、今は未だ寒すぎる。今年は春が遅い。
 ジュリアンはポッドキャストをする以外は、ガレージで作業をしたり、庭で大工仕事のようなこともする。 彼も忙しい。 彼はじっとしているのが嫌いなタイプで、その分フットワークが良いので、何か足りない物があるとすぐに買いに行ってくれるのは助かっている。 
 私達の間での生活ルールは、ジュリアンがポッドキャストをする月曜から金曜の午前10時~12時は、彼が書斎兼スタジオとして使っている部屋に入らないということ。 それ以外にジュリアンは単発で他のYouTuberとのコラボレーションをすることもあるので、とにかく彼の仕事の邪魔はしない。そして彼の郵便物を開けない。お互いの電子機器には触れないのがルールだ。


4月12日、 日曜日
 イースト・ストロースバーグに滞在して、あっという間に20日以上が過ぎてしまった。こんなに長く居るとは思わなかったので、今ではウォルマートで買ってきたTシャツやスウェットを着る日が多くなってきた。
この日は私の34回目の誕生日。ジュリアンが 「バースデー・サプライズがある」というので庭に出てみると、一番大きな木にブランコが取り付けてあった。 2週間くらい前の天気が良い日に、「こんな芝生の庭で、風に吹かれながらブランコにでも乗りたい」と言ったのを覚えてくれていたらしい。 早速乗ってみると、想像していた以上に気分が良くて、映画のヒロインになったような気分。 嬉しくて涙が出た。今までこんな素敵な誕生日プレゼントは貰ったことは無い。 久々に誰かに大切にされている気分を味わった。
 ジュリアンは私の嬉し泣きに驚いたようだったけれど、センチメンタルなムードを払拭しようと、一緒にブランコに乗って、勢いよく漕ぎ出した。 そうしたらブランコを支えていた金具が木から外れて、私達は2人して芝生の上に放り出され、そのまま笑い転げた。 とても幸せだった。「こんな環境で、子供を育てたら幸せだろうなぁ」と想像した。
 バースデー・ディナーにはジョンとエイミーがカップケーキを持ってやってきてくれた。 「本当は大きなケーキを持ってくるはずだったのに、エイミーの手違いでカップケーキになってしまった」というジョンは、どうやらエイミーそのことで喧嘩をしたようで、この日の2人は何時になくギクシャクしていた。 ジョンの言葉がとげとげしく感じることさえあった。コロナウィルスで皆がイライラしている時期だから仕方がない。
 バースデー・キャンドルを吹き消す時、「Make a wish!」と言われた私が掛けた願いは、「ジュリアンとの今の幸せな生活が続きますように」 だった。


4月20日、 月曜日
 さすがに今の生活がそろそろ退屈になってきた。でもマンハッタンに戻ったところで友達に会ったり、レストランに出掛けたりすることが出来ないから、 それを思えばここの生活の方が自然に囲まれているだけ幸せだ。 世の中でも「コロナウィルス・ファティーグ(コロナウィルス疲れ)」という言葉が聞かれるようになってきた。皆、単調な毎日に疲れているのは同じだ。
 ジュリアンもここ2日ほど、ポッドキャストの音声トラブルも手伝ってイライラが増えている。私は彼の神経を逆なでしないようにしている。 丁度この生活が始まって1ヵ月が経過したので、ハネムーンが終わったということなのかもしれない。
 この日はジュリアンがポッドキャストをしている間に、昨日作り過ぎたビーフ・シチューをジョンとエイミーに届けようと思って2人の家を訪ねると、 エイミーが家の前の階段に座ったまま、俯いて泣いていた。
 「What happened?」という私の問いかけに 「Everything is my fault (全部私が悪いの)」と言いながら顔を上げたエイミーの左頬が赤く腫れあがって、 鼻血を拭き取ったような跡がある。 ドメスティック・バイオレンス?  あのジョンが? あんなに仲が良いカップルなのに?
「Are you OK?」、「誰かに連絡する? 警察に通報する?」と尋ねるけれど、エイミーは答えない。 ビーフ・シチューの鍋を置いて、エイミーの隣に座り、彼女の手を握りしめると号泣し始めた。
エイミーが少し落ち着きを取り戻したところで尋ねてみた。「何時から?」

 ジョンは交際中にも2度ほどエイミーに手を上げたことがあった。 でもその度にジョンは謝って、その直後はプリンセスのように扱ってくれたという。 だから不安はあったけれど結婚したらしい。 それに当時のエイミーは仕事を解雇されたばかりで、 ジョンと結婚しなかったら家賃が払えなくなる寸前だったようだ。
 暴力が定期的になったのは結婚の1カ月後からで、暴力の後は「今度こそ自分は変わる、君が居ないとダメだ」と謝罪してくる。そして暫くは平穏な日々が続くけれど、 徐々に皮肉や侮蔑の言葉がエスカレートして、再び暴力が始まるらしい。典型的なドメスティック・バイオレンスのサイクルだ。 私がジョンとエイミーに最初に会った時は、きっとそのサイクルで ジョンの態度が良い時だったに違いない。

 私がDVについての知識を深めたのは、未だ日本に住んでいた頃に姉がDVの被害を受けたからだった。
姉は最初のうちはボーイフレンドの暴力を隠していた。そのボーイフレンドはハンサムで人当たりが良く、誰にでも好かれるタイプで、私も密かに彼に憧れていたし、 姉が彼と結婚して、兄になってくれるのを望んでいた。 それは母も一緒だった。  当時の姉はボーイフレンドとの関係に縛られて、女友達と引き離されてどんどん孤独になり、そのせいで暴力を誰にも話せなかった。
 姉が最初に彼の暴力について告白した時は耳を疑ったし、母は姉の言い分を全く信じなかった。 そのことは姉の心の傷になってしまった。 母が姉をようやく信じたのは、姉が病院に運び込まれる重症を負ってからだった。 彼と縁を切るのは凄く大変で、私達家族全員が嫌がらせを受ける事態になった。 彼はとんでもない嘘つきだった。
 姉はその時の経験がトラウマになって未だ独身を続けている。

 エイミーの様子を見ているうちに、姉のことを昨日の出来事のように思い出して、胸が苦しくなってきた。 でもどうしたらエイミーを助けられるか分からない。 エイミーは以前、女性用のシェルターに逃げ込んだこともあるらしい。でもカウンセラーやシェルターは今、コロナウィルスのせいで機能していない。
 「ジュリアンに相談してみる」と言うと、エイミーが既にジュリアンに相談していたことを知らされた。 昨年のクリスマスにジョンに殴られたエイミーが、警察に通報しようとしたのを止めたのがジュリアンだった。 理由はジョンが1年前にスピード違反でハイウェイ・パトロールに車を止められた際、マリファナと少量のドラッグを所持していたことから、 今も保護観察中の身で、もしエイミーがDVの通報をしたら刑務所行きになるからだ。 「そうなればエイミーの生活も困るはず」というのがジュリアンのアドバイスだったらしい。
 私はこれまで知らなかったジュリアンの人柄を垣間見たような気がした。

 そのままジュリアンの家に戻った私は暫く茫然としてしまった。  ディナーの時に思い切ってジュリアンに ジョンのDVについて尋ねてみると、ジュリアンはエイミーの言い分を信じていないようだった。  彼はジョンのことを子供の頃から知っていて、「過去のガールフレンドも知っているけれど、暴力をふるったことは一度も無い」という。 逆にエイミーのことは、経済的な理由でジョンと結婚したと思い込んでいて、「仲たがいをすると、 ボーイフレンドに関するウソをついて 同情を引こうとする女性は少なくない」のはジュリアン自身の経験からも言えることだそう。 そして何より、カップルの問題に口出しするのは彼のスタイルじゃないという。
 私はこの日の夜、いろいろな思いが頭の中をめぐって眠れなくなってしまった。


5月11日、 月曜日
 あの日以来、何となくジュリアンとギクシャクすることが増えてきた。 今はワインを飲む量が増えて、今日は10時過ぎまでベッドの中でダラダラと過ごしていた。 ジュリアンはポッドキャストをしている時間だから、家の中を気を付けて歩いた。
 すると今日に限って、ポッドキャストをしている書斎の扉が開いている。私がTシャツとホットパンツで歩く後ろ姿が バックグラウンドに入ってしまったと思った瞬間、ジュリアンが 「Oh, she’s my COVID Boo」と言った。
 「COVID Boo」とは、COVID-19のロックダウンや、隔離時期を乗り切るためのガールフレンド。 もっとはっきり言えば、この時期に感染を恐れずにセックスができるパートナーという意味だ。 私はショックで言葉も出なかった。ジュリアンを問い詰める気力も勇気も無い。 まかない兼娼婦だと思われているような気がして、自分が情けなかった。


5月15日、 水曜日
 とうとうジュリアンと喧嘩になった。彼に「COVID Booだなんて、私のことをメイド兼タダの売春婦だと思ってたの?」とモヤモヤした気持をぶつけてしまった。
 「Give & Takeだよ」 ジュリアンの反応は驚くほど冷静だった。 「君だって、ストリートでアジア人虐めのターゲットになりかけた時に、誰かに傍にいて欲しかっただろ? この時期に突然一緒に暮らし始めたカップルなんて、皆そんなもんだよ。 こんな時だから感染リスクが無いパートナーが必要だし、自分が感染した時に面倒を見てくれるパートナーが傍にいなきゃ、不安で暮らせない」。

 ジュリアンの言う通りだ。 彼はコロナウィルスの時期を過ごすメリットを私との関係に求めていただけだ。 そうとは知らず、私は「結婚したら」、「子供を産んだら」と勝手に生涯のメリットを彼に求めていた。私の方が彼よりも悪質だ。
 この時期を郊外で一緒に過ごすことの意味を、勝手に勘違いして、拡大解釈していた。 コロナウィルスが無かったら、彼と私がここで一緒に生活することなど無かったのだ。 頭を冷やしてみると、彼との結婚を考えてしまったのは、彼を愛して、それを望んだからじゃない。 離婚のコンプレックスからだった。元夫を職場の女性に取られて傷ついたプライドを挽回したかった。 次に日本に帰るまでには婚約か、結婚を前提にした交際のステータスが欲しかった。
 ジュリアンへの気持ちが高まったのも、彼が以前よりも経済的に潤っていて、ウィリアムスバーグにアパートを持っていて、 人気上昇中のポッドキャスターが自分の彼氏、願わくば婚約者だと日本の友達や家族に自慢したかったからだ。 私のプライドは何て安っぽいのだろう。
 彼の言い分が正しいと思えば思うほど、自分のことが惨めに思えてきた。
 いろいろなことを考えるうちに、久しぶりに1人になって考えたいという気持ちが沸いてきた。 過去数週間、ずっとジュリアンの存在を感じながら生活をしてきたけれど、 今は1人になって自分が聴きたい音楽を聴いて、観たい映画を観て、自分が食べたいものを食べる生活に戻りたい。


5月17日、 金曜日
 持ってきた荷物だけを鞄に詰めて、私はアムトラックでマンハッタンに戻った。ウォルマートで買ったTシャツやスウェットパンツは、全て捨てて来た。
 久々のマンハッタン。 街中は空っぽかと思ったら、沢山の人が歩いていた。マスクをしている人も居れば、していない人も居る。 コーヒー店の前には行列が出来ていて驚いた。やっぱりニューヨーカーはお洒落だ。ウォルマートのTシャツとスウェット・パンツで毎日を過ごしていた自分の姿と比べてしまう。全てが懐かしい。

 ジュリアンの家を出る前にエイミーにこっそり手紙を渡した。
「もし逃げ出したくなったら、暫く私のアパートに泊めてあげられるから、いつでも訪ねて欲しい」と書いておいた。 姉のことを助けられなかった罪滅ぼしなのかもしれないけれど、後悔したくなかった。 エイミーが本当に私を訪ねて来るとは思っていない。 でも何もせずに去りたくなかった。 たとえエイミーが私を訪ねて来なくても、きっと誰かが助けてくれることを彼女に知って欲しかった。 それが大切だと思った。

 木々に囲まれた環境から、久々にビルに囲まれた街中に戻ってくると、信じられないほど都会の空気が新鮮で、美味しく感じられる。 そして身体の内側から、暫く忘れかけていた やる気と意欲、勇気が沸いてきた。 ゴミの収集が暫く来ていないのか、街角にはゴミが積まれている。何故この空気が新鮮で、美味しく感じられるのか、全く分からない。
 自分が知らない間に、NYという街から沢山のエネルギーを貰っていたことを 今更のように実感したのだった。





Chapter 5
Andrew
アンドリュー:主夫、元MET勤務


3月31日、 火曜日
今日がMET(メトロポリタン・オペラ)からの給与が払われる最後の日だ。
 2019年から2020年に掛けてのシーズンは本来なら5月9日で終了することになっていた。 だが3月12日にNY州知事のアンドリュー・クォモが、ウィルス感染を受けて50人以上の集まりを禁止した。 そのためにオペラやブロードウェイ・ミュージカル、コンサート、スポーツの試合が全てキャンセルになった。 METが残りのパフォーマンスをキャンセルした損失は1億ドルになる。
 ジェネラル・マネージャーのピーター・ゲルブはそれ以上の損失を防ぐために組合に所属する従業員を全員解雇した。 解雇声明は「また秋以降に共に働けることを望んでいる」というもので、METのスポークスパーソンは「レイオフというよりも雇用停止」だとして、休演中の一時解雇であることを強調している。 健康保険は引き続き支払われて、オーケストラのミュージシャン達は楽器のメンテナンス・コストも負担して貰える。  解雇処分にするのは、従業員が失業保険の申請を行えるようにするためだ。 休演中の従業員給与を失業保険で賄おうというのがMETの意図するところだ。 だが全員が秋から始まる2020年から2021年のシーズンに再び雇用される保証はない。
   オペラはパフォーミング・アーツの中にあって、徐々に衰退の道を歩んでいる。オペレーション・バジェットが年間3億円ドルと高額な割には、年間の寄付は2億8400万ドルしか集まらない。 メトロポリタン美術館は、休館で失った1億円ドルの収益を補ってもお釣りが来る36億ドルの寄付の蓄えがある。同じMETの名称で呼ばれても、オペラのMETとは全く異なる状況だ。

 私がオペラ・ファンになった1980年代は、オペラはもっとクールで幅広い層にアピールしていた。
1987年公開のマイケルJ.フォックス主演映画「The secret of My Success (摩天楼はバラ色に)」では、NYでサクセスを収めた若い主人公たちがドレスアップしてオペラに向かうのがラスト・シーンだった。 メトロポリタン・オペラハウスはリッチ、フェイモス、ビューティフル・ピープルの社交場だった。 同じ年に封切られた「Moonstruck (月の輝く夜に)」でも、ヒロインを演じたシェールと相手役のニコラス・ケイジがドレスアップして出掛けたのがMETで上演された「ラ・ボエム」だ。 この映画でシェールはオスカーの主演女優賞を獲得した。 1990年に公開された「プリティ・ウーマン」でもリチャード・ギア扮するビジネスマンが、真っ赤なドレスを美しく着こなしたジュリア・ロバーツ扮するヒロインをデートに連れて行ったのも、場所はサンフランシスコだったがオペラだった。
 映画の中の観客は皆ドレスアップして華やかだった。当時はそれがオペラの世界だった。
その後1990年にはカレラス、ドミンゴ、パバロッティの3大テノールが、ローマのワールドカップ前夜祭でパフォーマンスをした。 オペラが金持ちのパフォーマンス・アートから、メインストリームのカルチャーになったのがこの頃だ。 このパフォーマンスを収めたDVDは何度観たか分からない。カレラス、ドミンゴ、パバロッティはオペラが生んだスーパースターだった。

 私がMETの仕事を始めたのは、1990年代後半だった。  最初はスペシャル・イベントのコーディネート・アシスタントを務め、その後マーケティング・キャンペーンを担当するようになった。 しかし、その頃からオペラは徐々に衰退し始めた。 若いパトロンが増えないまま、既存のパトロンがどんどん年齢を重ねていき、 客層も華やかさを失っていった。増えたのはゲイカップルで、若いゲイ男性が居てくれなかったら、男性客は高齢者だらけだ。 女性客は女性同士でやってくるケースが増えた。現代の若者、特に男性にとって、オペラは長過ぎて退屈なパフォーマンスだ。
 今のジェネラル・マネージャー、ピーター・ゲルブが 舞台セットのモダン化と称して、 巨費を投じた見目麗しいセットを シンプルで控えめなセットに替えてしまったこともオペラの魅力が半減した要因だと言われる。 でもオペラ人気が衰えた最大の理由は、パバロッティのようなカリスマ性のあるスターが居なくなったためだ。
 高齢者のパトロンは、この秋からの2020年シーズンがスタートしても感染を恐れてオペラハウスに足を運ばなくなるかもしれない。 それ以前にコロナで命を落とすかもしれない。不安材料は一杯だ。


  4月7日、 火曜日
 今の私の毎日の生活は、8歳になる息子、ザックのオンライン・クラスの学習サポートと、食材の買い出し、洗濯と部屋の掃除。 週末になるとザックを連れて、高齢者養護施設に入っている母の様子を見に行く。
 妻のケリーは3月半ばから自宅勤務になった。ケリーは2人目の妻で、自分より12歳若い。 気が強く、子育てに熱心で、何でも自分でやらなければ気がすまないタイプだ。 私はケリーに家の中の主導権を握らせるようにしている。それが夫婦円満の秘訣だ。
 ケリーはケーブル局の番組プロデューサーで、ヨーロッパで制作されるコンテンツが専門だ。 自宅勤務になってからロンドン・オフィスの部下、ジェイミーと定期的にZOOMミーティングをしていて、 時差の関係上、ミーティングはもっぱら午前中だ。 ゲイの彼に「差別だ」と言われないように、ケリーは言葉遣いや表現には気を遣っている。
 ZOOMミーティングをするようになってからは、ジェイミーのバックグラウンドに映る部屋のインテリアに 自分達との生活レベルの差が表れているとぼやく。 無理もない。ジェイミーはナイツブリッジのフラットで、ボンド・ストリートの金融マンの夫と暮らしている。 天井が高く広々した室内は、柱から扉までの内装に費用が掛かっているのが一目瞭然だという。 ジェイミーと夫の間には2歳になる男女の双子がいる。それぞれにナニー(子供の世話役)がついているので、「育児の苦労などしていない」と頻繁に夕食時に言っている。

 自宅勤務になってからのケリーは、少々被害妄想層気味になっている。朝8時から夕方5時までランチブレークを挟んで働き、その合間を縫って 食事は3食とも必ずケリーが作る。 献立を考えるのもケリーで、私はケリーの献立に従って買い物に行ったり、オンラインで食材をオーダーするだけだ。 私の料理が下手なのが原因だ。 デリバリー・フードはコロナウィルスに感染するリスクがあると思い込んでいる。
 食事の片づけは私の仕事だが、几帳面なケリーは私が片付けた後にもう一度軽く掃除をする。 最初は侮辱されている気分を味わったが、そんなことを言えば夫婦喧嘩になるのは分かっている。
 こちらもこの先の仕事のこと、ウィルス感染の不安でストレスが溜まっているが、夫婦喧嘩をすれば一番傷付くのはザックだ。 そう思って今日もいろいろなことを我慢した。
我慢しているのはケリーも同じだ。今日は友人とZOOMで「夫の首を絞めないように我慢するのに必死」と愚痴っていた。冗談であってくれればよいが。


4月11日、 土曜日
 今日はケリーが朝からイライラしていたので、1人の時間が必要だと思い、朝早くからザックを連れて高齢者養護施設にいる母に会いに行った。
 ケリーが私の母を好きでないのは知っている。母もそれを分かっているので、父が死去して1人暮らしが難しくなった時には、我々と住むよりも養護施設入りを希望した。 施設があるのはNY市郊外のキングス・カウンティーで、車で30分ほどのドライブだ。
 会いに行くとは言っても、養護施設では感染防止のために面会が禁止されて久しい。 それでも家族は毎週末施設を訪ねる。窓越しでお見舞いをするためだ。 最初は手を振ったり、大声で励ますだけだったけれど、今ではどの家族も、「WE LOVE YOU!」といったメッセージを書いた派手なプラカードを作って持ってくる。
 母にとっては孫のザックの姿を見るのが今の唯一の生き甲斐だ。 ケリーの両親は既に他界しているので、ザックにとっても母が唯一の「グランマ」と呼べる存在だ。  母はだんだん体力がなくなってきている。ザックが何時ものように「グランマ!」と叫んで手を振っても、 以前のように手を振り返すことが出来ない。弱々しく微笑むだけだ。
 帰りの車の中でザックが「グランマのベッドに横に食事のトレイが重ねて置いてあった」と言っていた。 私が気付かなかったことにザックが気付いていたのに驚いた。 今週、養護施設の入所者からコロナウィルス患者が出たと聞いたが、ちゃんとケアが行き届いているのだろうか。不安でたまらなかった。


4月15日、 水曜日
 昨日からのケリーのイライラが今日は遂に爆発した。
 作り置きしておいた夕食用のトマト・ソースを入れた鍋が落ちて、キッチンの床がトマト・ソースだらけになった。 誰が悪い訳でもない。子供の居る家では時々起こる事故だ。 ザックは「What the F@#k!」とケリーが怒鳴ったことに驚き、凍り付いている。日頃母親が「絶対使ってはいけない言葉」と教えている ”Fワード”を、その本人が叫んだのだから無理もない。
 だがケリーの怒りの矛先は、ザックよりもむしろ自分に向けられていた。 「私の気持ちが分かる? 1日中1人で働いて、3食の献立を考えて、全部1人で料理して、毎朝起きた途端から疲れているのに、夜は不安で眠れない。 もうこんな生活はウンザリ。コロナウィルスの問題が終わったらNYから脱出する。どこか郊外の街で自分のペースの生活をする。一緒に来たくなかったら、私1人でも実行する」と宣言して、寝室にこもってしまった。
 ケリーの気持ちはよく分かる。誰だって外出もできず、友達にも会ないまま、仕事と料理と子供の世話だけして、心と身体が休まらない状態が続けば、ストレスと披露で頭がおかしくなる。

 まずはザックと2人でトマト・ソースの片付けを始めた。全て拭き取ってからもトマトの匂いが残っていたので、感染防止の消毒用に大量に買い込んであった ライソルをたっぷりスプレーして、念入りに掃除した。 その後、ザックを元気づけるために 彼が好きなメキシカン・ファストフードのチポトレから夕食のデリバリーをオーダーすることにした。 ザックが何を食べたいかは分かっているし、ケリーがチポトレに行った時にオーダーするメニューも心得ている。
 デリバリーはオーダーしてから40分ほどで届いた。寝室の扉をノックしてケリーにディナー・タイムを伝えると、意外にも大人しく出てきた。 デリバリー・フードを嫌がるかと思ったら「久しぶりで美味しい」と言いながら食べている。 「ママの料理が一番好きだけど、メキシカンも食べたかった」とザックも嬉しそうだ。
 「ママの料理に飽きてたんでしょ?」とからかうようにケリーが微笑んだ。彼女の笑顔を見たのは久々のように思う。
 食事が終わってチポトレのコンテナをゴミ袋に入れながら、「こんなので良いのよね」と独り言のようにケリーがつぶやいた。



4月20日、 月曜日
 一度爆発してからのケリーは、驚くほど態度が軟化した。今日は部下のジェイミーとZOOMミーティングをしている部屋から笑い声が聞こえてきた。
後から尋ねると、ジェイミーの夫が先週末からコロナウィルスではないものの風邪を引いたらしい。 今はロンドンも外出禁止令が出ているので、ナニーに子供の面倒を見てもらう事が出来ず、 ジェイミーが1人で双子の面倒を見る状態が3日続いている。 双子たちは、ミーティング中もジェイミーの膝の上に登ってきたり、彼の関心を引くために書類やペンを投げたりするので、 全くミーティングにならず、ジェイミーは「アンプロフェッショナルで申し訳ない」と平謝り。 それでも子供達には優しく、忍耐強く接していたという。
 ケリーはそんなジェイミーの寛大で、愛情に溢れる父親の側面に触れて「彼を見直した」とのこと。 そこで仕事の話は連絡程度に止めて、ジェイミーと初めてお互いの私生活の現状について、冗談を交えながら語り合うことになったという。 笑い声が聞こえてきたのはそのためだったらしい。
 これまで私生活を言い訳に仕事を怠る部下に「プロらしくない」と説教をしてきたケリーが、子育てやコロナについてボヤき合った途端に 部下への好感度がアップしたとは驚きだ。人間とは不思議な生き物だ。


4月25日、 土曜日
 今日は、ケリーが久々に高齢者施設の母の訪問に一緒について来ると言い出した。 ザックが「最近のグランマは元気がない」と言ったのが気になっていたらしい。
 3人で施設に到着し、いつものように母の部屋の窓の前に行くと、母は益々やつれて、疲れた顔をしていたし、先週より痩せたような気がする。 ケリーは久々に見た母の姿の豹変ぶりにショックを受けている。
 「ちゃんと適切な食事は摂れているの?」、「誰が面倒みているの?」、「担当は?」と訊いて来る。 ザックは今日も母のサイド・テーブルに食器を乗せたトレイが積まれているのを見て、「この前も置きっぱなしになっていた」とケリーに報告する。  それを聞いたケリーは腹を立てて、家族立ち入り禁止令が出ている施設の中にマスクを二重にして入っていった。 抗議をするためだ。止めたけれど聞くような性格じゃない。
 「責任者と話すまでここ動かない」、「一体この施設はどうなっているのか、誰かに説明してほしい」と15分ほど粘ると、 ナースと思しき年配女性が出て来て 「今は話せる人間は誰もいない」、 「こうしている時間を惜しんで高齢者の面倒を見なければならない」と言われたらしい。

聞けば、今は介護士が3人しかおらず、施設に入所している高齢者は約40人。 以前はもっと介護士がいたが、彼等の家族がコロナウィルスに感染し始めたので、濃厚接触者を出勤させるわけには行かないそうだ。
 応援要員は何週間も前からリクエストしていたが、 2週間前から州政府が送り込んできたのは応援スタッフではなく、 病院に収容しきれなくなったコロナ患者だった。
 一部のスタッフはそのせいでコロナに感染したと説明された。

 確かにNYでは感染者が急増したせいで、セントラル・パーク内にも簡易病院施設のテントが作られた。 ハドソン・リバー沿いにあるジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンション・センターも、1000床のベッドを擁する医療施設にコンバートされた。 だが1000床のうち患者で埋まっているのは僅か134床で、派遣された海軍ホスピタルの医療スタッフ900人は、患者1人を6人でケアするゆるゆるの体制。 税金の無駄遣いになっていることがニュースで報じられていた。
 何故コロナ感染者をそちらに移さず、人手不足の高齢者施設に送り付けたのか。 まるでメディケア(国が提供する高齢者保健)支出を減らすために、 高齢者をコロナウィルスで殺そうとしているようにさえ思えてしまう。
 帰りの車の中でケリーは「酷い」、「間違っている」と言いながら声を震わせていた。正義感が強い彼女は、 母のことが好き、嫌い以前に、人道的見地から耐えられなかったのだろう。


4月27日、 月曜日
ケリーは朝から、高齢者養護施設の現状について州政府に電話で抗議をしていた。昨晩は知り合いのニュース番組プロデューサーにも電話をして、 「コロナ患者が 空いている簡易病院施設ではなく、高齢者施設に運び込まれている実態を報じて欲しい、幾らでも協力する」と熱心に説得していた。 彼女は強い。特に正義に駆り立てられている時のケリーには、人を動かすパワーがある。
 やがてこのニュースはメジャー・ネットワークで報じられるようになり、クォモ州知事への反発を盛り上げる一因になったのだった。


4月29日、 水曜日
 母が死居したことを電話で知らされた。そしてコロナに感染していたことも同時に知らされた。
 感染していると、たとえ家族でも死んだ母に直接会って別れを告げることは出来ない。 牧師が行う葬儀の様子を ビデオ・ストリーミングで眺めることしか許されない。 母が1人で孤独に死んでいったことを思うと、情けなく、そしてやるせなかった。自分には何も出来なかった。
 ケリーもザックも泣いていたが、何故か私は涙が出なかった。

 葬儀の様子を見終えた頃から、ケリーが咳をし始めた。  心配するザックを隔離して、自分は家の中でマスクをつけて過ごした。  料理は上手くないが、インターネットでレシピを検索してチキン・スープを作ってケリーのところに持って行った。
 明日はコロナ検査に連れて行かないと。


5月10日、 日曜日
 結局、ケリーは陽性と診断されたが、症状は軽かった。熱も殆ど無く、昨日再テストをしたら陰性だった。最初のテストが間違っていたのではと思うほどだった。
 今日は母の日なので、ザックと一緒に朝食を作り、食卓に花を飾った。マザース・デイは、母親に朝寝坊をさせてあげて、家族がブランチに連れて行ったり、朝食を作るのがアメリカの習慣だ。 でもコロナ下では、レストランでのブランチは出来ない。今回の母の日は、ケリーのことよりも自分の母のことばかり考えてしまう。 朝食はフレンチ・トーストを作った。ケリーの好物だ。これくらいなら簡単だから私にも作れるし、イチゴを添えたらキュートに仕上がった。
 リビングにやって来たケリーに、ザックと一緒に「Happy Mother’s Day!」と言うと、「今日、母の日だったの?」と本人は忘れていたようだった。 嬉しそうに食卓の花を眺めた後、花瓶に立てかけておいた母の日のカードを読んだケリーは涙ぐんでいた。 まずザックを強く抱きしめてから、自分も含めて3人でハグをした。何だか分からないが、とても幸せな気持が込み上げて来た。気付くと自分も涙をボロボロ流していた。 母の死では流れなかった涙が、今は止まらない。
 世の中がこんな時に、家族と呼べる存在が傍に居てくれることが嬉しかった。 心強かった。 2人を本当に愛していると実感した。 いつまでも一緒に生きていきたいと思った。 コロナウィルスのせいで家族愛と命の尊さを思い知らされるなんて。 人間はやっぱり不思議な生き物だ。

 この日の午後、「コロナの感染が一段落したらNYを離れたい」と宣言したケリーが、「私、やっぱりNYに住み続けるわ」と言って微笑んだ。
 長かった今年のNYの冬が終わり、ようやく春になったのを感じた時だった。





執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、渡米。以来、マンハッタン在住。 FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。 その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.を設立。以来、同社代表を務める。 Eコマース、ウェブサイト運営と共に、個人と企業に対する カルチャー&イメージ・コンサルテーション、ビジネス・インキュベーションを行う。
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